「存在の耐えられない軽さ」(ミラン・クンデラ)から。
小説なのであるが、ところどころに作者が顔を出す。著者が自分の考えを地の文に書いてしまうのが讀んでいて變である。
「永劫回帰という考えはミステリアスで、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。
われわれがすでに一度経験したことが何かもう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるであろうと考えるなんて! いったいこの何ともわけの分からない神話は何をいおうとしているのであろうか?
(中略)
もしもフランス革命が永遠に繰り返されるものであったならば、フランスの歴史の記述は、ロベスピエールに対してこれほどまでに誇り高くはないであろう。
ところがその歴史は、繰り返されることのないものについて記述されているから、血に塗れた歳月は単なることば、理論、討論と化して、鳥の羽よりも軽くなり、恐怖をひきおこすことはなくなるのである。
すなわち、歴史上一度だけ登場するロベスピエールと、フランス人の首をはねるために永遠にもどってくるであろうロベスピエールとの間には、はかり知れないほどの違いがある。」(P.6~P.7)
「われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。
このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある。これがニーチェが永劫回帰の思想をもっとも重い荷物(das schwerste Gewicht)と呼んだ理由である。」(P.8)
これが、この小説の書き出しである。私などは、なるほどニーチェの永劫回帰とはこういうことかと感心したりしてしまうのである。
「チェコを立ち去ってから二年後、ロシアの侵入の記念日にサビナはたまたまパリにいた。抗議のための集会が行われ、彼女はそれに参加するのを我慢することができなかった。
フランスの若者たちがこぶしを上げ、ソビエト帝国主義反対のスローガンを叫んでいた。
そのスローガンは彼女の気に入ったが、しかし、突然彼らと一緒にそれを叫ぶことができないことに気がつき驚いた。彼女はほんの二、三分で行進の中にいることがいたたまれなくなった。
サビナはそのことをフランスの友人に打ちあけた。
彼らは驚いて「じゃあ、君は自分の国が占領されたのに対して戦いたくないのかい?」と、いった。
彼女は共産主義であろうと、ファシズムであろうと、全ての占領や侵略の後ろにはより根本的で、より一般的な悪がかくされており、こぶしを上につき上げ、ユニゾンで区切って同じシラブルを叫ぶ人たちの行進の列が、その悪の姿を写しているといおうと思った。
しかし、それを彼らに説明することはできないだろうということは分かっていた。そこで困惑のうちに会話を他のテーマへと変えたのである。」(P.117)
「ユニゾンで区切って」というのがわからない。
Wikipediaによれば、
「ユニゾン(Unison)とは、同じ高さの音が2つ以上存在していることをいう。例えば、1人がピアノを、別の1人がトランペットを使って「ド」の音を鳴らせばユニゾンとなる。」
とあるが、さっぱりわからない。
訳が悪いだけで、「声を揃えて」くらいの意味だろうか?
どなたかご教授を!
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