『「見立」と「やつし」』(国文学研究資料館編:八木書店刊)
八木書店は古書店とばかり思っていたが、出版もしていたのか。知らなかった。
ところで、前に「光草」で書いたのだが、東京理科大の生涯学習センターに「浮世絵と数学」という講座があって、アフィン幾何学というのを教えてもらった。
そういえば、講師の新藤茂先生が、その講座の中で、「見立」と「やつし」の違いを力説していた。
その時は違いがわかった気になったのだが、よく考えるとどっちなのか分からない。
分からなくとも困らないので、調べもせずにいたのだが、このたび『図説「見立」と「やつし」』を世田谷中央図書館の新刊コーナーで見つけた。
もしかして、新藤茂先生が書いているかと探してみたら、その名も『「見立」と「やつし」の定義』という論文が見つかった。
「ここで、見立とやつしを表わす用語として、数学の関数論の用語を借りて、Correspondence(見立)とTransformation(やつし)を提唱したい。」(P.116)
さすがに数学の先生だ。が、この本の他の著者にさえ分からないだろう。もちろん私にも分からない。数学が得意な浮世絵愛好家しか理解できないと思うのだが、世に何人もおるまい。(笑)
これは、鈴木春信の浮世絵だが、竹藪で雪が積もっているのに筍が生えてきている。
当然、二十四孝の孟宗だ。だが、美人が鍬を持っている。これを「やつし」というらしい。
孟宗(もうそう)の親孝行を天が感じて筍を生やした。
孟宗は筍を掘ると、これを筍ご飯にしておっ母さんに食べさせた。
食が進んだと見えて、「孟宗や、すまないがもう一膳おくれ」と言ったら「もうそうはねえ。」
というのが落語の二十四孝だが、この落語を知っていると、この浮世絵はすぐ分かる。
従って、「水戸のご老公が縮緬問屋のご隠居に身をやつし」という使い方は合っているということだ。
「見立草木八景 白牡丹暮雪」(磯田湖龍斎)
「この場合は中国から伝わった八つの漢詩をもじって作品を作っているのです。この一連の漢詩は、当時の知識人の間ではとても馴染み深いもので、中国の八景勝の詩的情景を読んでいます。夜雨、秋月、煙寺晩鐘、などなど。その中のひとつで、ある有名な山に積もる暮方の雪について読んだ詩があり、そこからのひらめきを、湖龍斎が絵にしたものがこの作品になったと思われます。彼は詩の内容をそのまま絵にせず、実際の山の代りに白い牡丹の花が大きく咲いた様子を描くことによって、謎解きの鍵としています。絵を見た人がそれでもわからない時のため、副題に「白牡丹暮雪」と添えてあります。(デービッド)」
こちらは題に「見立」と入っているので、見立である。
「白い牡丹」を「山につもる暮れ方の雪」と見立てたというわけである。
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