小林秀雄の対談集「歴史について」を世田谷深沢図書館の不要本交換コーナーから拾ってきた。
今日出海との対談で、サクラの話になった。
「[今日出海]この辺りのサクラはなんだね。
[小林秀雄]ソメイヨシノとかいうんだろう。サクラの一種なんだが、むろん日本古来からあるサクラじゃないいんだよ。いずれ、文明開化時代にできてきた変種なんだね。
[今]だれがこさえたのかね。
[小林]だれか知らないが、こさえたんだよ。こさえたもんだからじょうぶで安いし、世話がいらない。
血統正しいサクラというのは、手間が大変なんだ。ほうっておいたっていい花は咲かない。手入れをして、大事にしてやれば、みごとな花が咲くというのがサクラでしょう。
笹部新太郎さんというサクラの大家がいてね。その人の本を読むと、いま日本のサクラの80%はソメイヨシノになってしまっていると書いてあった。
この間、この人に会って、いろいろサクラの話を聞いて、おもしろかったが、この人の話は、水上勉さんがいずれ書くと言っていたから、僕は話さない。(編集部注 水上勉『桜守』新潮社刊)」
小林秀雄が「僕は話さない」と言っているので、水上勉の「櫻守」と笹部新太郎の「櫻男行状」を図書館で借りてきた。
「櫻守」は読み終ったが、 「櫻男行状」は貸出期限がきてしまつたので、延長を頼んだら、ほかに予約が入っていて延長できませんと言われた。
図書館へ行く前に、インターネットの「日本の古本屋」を検索したら、1,500円で出ていたので注文したのだが、これも売却済みですというメールがきた。
私と同じ時期に「歴史について」を読んだわけでもあるまいに、 「櫻男行状」の売れ行きは驚くべきことだ。図書館でもいまだに貸し出し中が続いている。
さらに、深沢図書館で「櫻よ」(佐野藤右衞門:集英社)も見つけた。
水上勉の「櫻守」では、笹部は「竹部」となっているが、先代の佐野藤右衞門らしい植木屋も出てくることは、同時に読んでいて分かった。
小林秀雄、笹部新太郎、佐野藤右衞門の三人に共通しているのは、ソメイヨシノが嫌いな点だ。
「櫻よ」で、ソメイヨシノは実がならないので、接ぎ木でふやすしかない、したがって、これからのソメイヨシノは寿命が短い、というようなことを知った。
「歴史について」の続きを引用する。
「[今]サクラというのは、一本をめでるというのは少ないね。全山サクラで奥の千本なんていっそう手入れができないだろう。
[小林]奥の千本と言ったって、みんな世話さ。
スギだってヒノキだってマツだって全部世話ですよ。世話がなければほうっておいてあんなになりはしませんよ。アラスカの森林とは違うのだからね。
日本という国には、大自然なんてありはしないのだ。こんなに古くて狭い国家は、世界中にありはしない。だから日本では自然と言ったって、みんな歴史なんだよ。
長年苦労して世話をした自然だけがあるんだ。征服した自然ではない。
これが僕たちの自然観の根本性質だな。
日本の森林というのは全部人工林で、年中世話をしている。中にはいって草を刈り、枝を落とす。だから保っているので、野生の木じゃないよ。
サクラだって僕はそうだと思う。名所というのは大変な金をかけて世話をしてきたものだ。でなきゃ残るわけがない。
名木なんてものはみんな神社とか仏閣にあるだろう。そこで世話をしたのにきまっている。ほうっておいたら残るはずがない。
隅田川のサクラだって江戸の人たちはお花見だけしていたけれども、世話をして、名所として保っていたのは幕府だよ。
明治政府となれば、これはもう忙しいことになったからな。サクラの世話どころではない。親身な世話ができないから、安直なことにだんだんなっていった。
サクラでありさえすれば、サクラふぜいなどどうでもよい、そういうやり方になって、だれも怪しまなくなった。
[今]おかしなことになったものだね。敷島の大和心はなくなってしまった。
[小林]宣長のあの歌をやさしい歌だなんていっているけれども、宣長時代のサクラについての高度な教養は、もう今はないのだからね。
ヤマザクラなんかだれも見たことはないし、そういうふぜいなんか知らないのだから歌の正解は困難だ。
[今]ソメイヨシノじゃ大和心はだめだね。
[小林]あんな下品な花に朝日がさしてもしょうがない。」(P.97~P.99)
「あんな下品な花」とまで言わなくてもいい気がするが (笑)。
念のために、本居宣長の歌を書いておく。
「敷島の大和心をひととはば 朝日ににおう山桜花(やまざくらばな)」
ところで、暮れに桜をいただいた。その桜が正月に咲いて、いまだに満開だ。
金沢兼六園には冬に咲く櫻があることは「櫻よ」で知ったが、いただいたのは山形蔵王の「啓翁櫻」という名らしい。
正月に花見をしたのは初めてだ。
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