落語の話はところどころでしてきたが、ボケ防止のため、というよりボケの進行を防ぐために落語を覚えようと思い立った。
寿限無はだいぶ昔に覚えて、今でも言えるが、もう少し長いものに挑戦したいが何がいいだろう。前座が「寿限無」の次に習うのが「金明竹」だというので、金明竹にした。
といっても、例の「ひょうごの、ひょうごの」というところだけだが。
やっと覚えたので、ここで披露する。
「わてナ、中橋の加賀屋佐吉から参じました。
《はじめ丁寧に》先度(せんど)、仲買いの弥市(やいち)が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗(ゆうじょう)光乗(こうじょう)宗乗(そうじょう)三作の三所物(みところもん)。ならびに備前長船(びぜんおさふね)の則光(のりみつ)、四分一(しぶいち)ごしらえ横谷宗珉(よこやそうみん)小柄(こづか)付きの脇差ナ、あの柄前(つかまえ)は旦那はんが古たがやと言やはったが、あれ埋れ木(うもれぎ)やそうで、木ぃ~が違(ちご)うておりますさかいにナ、念のため、ちょっとお断り申します。
《だんだんと早口に》次はのんこの茶碗、黄檗山金明竹(おうばくさんきんめいちく)ずんどの花活(はないけ)、古池や蛙とびこむ水の音と申します・・・ありゃ、風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛け物、沢庵木庵隠元禅師(たくあん・もくあん・いんげんぜんじ)張りまぜの小屏風(こびょうぶ)、あの屏風はなァもし、わての旦那の檀那寺が兵庫におましてナ、ヘイ、
《ひどく早口で》その兵庫の坊主の好みます屏風じゃによって、表具にやり、兵庫の坊主の屏風になりますとナ、かよう、お言伝え願いまぁ。」
ところで、「古池や・・」とくれば芭蕉とは思うが、芭蕉に風羅坊という号があるとは知らなかった。もしかしたら有名な書家なのだろうか。
「芭蕉 最後の一句」(魚住孝至:筑摩選書)を読んでいたら、「笈の小文(おいのこぶみ)」のはじめにこうあった。
「百骸九竅(ひゃくがいきうけう)の中に物有(あり)。かりに名付て風羅坊(ふうらばう)といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。」
以下は「ゆきゆき亭 こやん」という人のブログから引用させてもらう。
「百骸(ひゃくがい)の骸は骸骨の骸でいわば全身骨格を意味する。死ぬとその骨があらわになるという意味で、死骸の骸でもある。九竅(きゅうきゅう)の竅は体にあいた穴のことで、目の穴が二つ、耳の穴が二つ、鼻の穴が二つ、口の穴が一つ、それに小便の穴とケツの穴で九竅となる。物というのは、今では物質を表すが、かつては魂という意味で用いられることも多かった。心敬(しんけい)法師の発句
ほととぎす聞きしはものか富士の峰
の「もの」は「もののけ」とか言うときの「もの」と同様幽霊を意味する。体を失い霊魂だけになったものも「もの」という。
ちなみに「もののけ」はから傘や下駄などの物が化けたから「物の化」だというのは後世の俗説。本来は「もの」だけでも「もののけ」を意味した。「百骸九竅の中に物有」とはつまり、肉体の中に魂があるという意味になる。
さて、その魂の名は、「かりに名付て風羅坊」という。風羅坊は肉体の名ではない。魂の名だ。肉体の名は生まれた時親からもらったり、俗世で名乗るときの名前だ。つまり金作だとか宗房(むねふさ)だとか、芭蕉庵桃青(ばしょうあんとうせい)だとかいう名だ。
ちなみに、松尾芭蕉という呼び方が今では普通となっているが、本来の名前ではない。俳諧師としての芭蕉は正式には芭蕉庵桃青であって、芭蕉が署名するときにはほとんどの場合この名を用いている。芭蕉は先祖を松尾氏に持つものの、武士の身分はとっくに消失していたから、本来正式の名字はない。しかし、通称としては敬意を込めて、先祖の松尾氏の名で呼ばれることもあった。それが後に芭蕉が俳聖として崇拝されるようになって、芭蕉の身分もいつのまにか松尾氏の武士の生まれに引き上げられてしまい、松尾氏芭蕉庵桃青がいつのまにか松尾芭蕉になったと思われる。
ここで登場する風羅坊の名はそれほど頻繁に用いられたわけでもない。この名はむしろこの『笈の小文』で用いられたということ以外には、あまり知られていない。羅というのは本来網を意味するもので、そこから薄い透き通るような布をも表すようになった。羅紗だとか綺羅だとかいうときの羅でもある。風になびく薄絹、それは乞食の着る破れた薄い着物のことなのか。この風羅坊の名は「風来坊」にも通じる。
ちなみに芭蕉というのはバナナのことで、日本の寒冷な気候では実はならず、大きな葉は秋風に破れてぼろぼろになるところから、しばしば「うすものゝかぜに破れやすからん」といわれる。」
「ここで登場する風羅坊の名はそれほど頻繁に用いられたわけでもない。この名はむしろこの『笈の小文』で用いられたということ以外には、あまり知られていない。」ということか。
これで、「風羅坊」は納得がいった。
ネットで調べてみると、この話は奥深い。第一、道具七品とは何を指すのかさえよく分からない。噺家によっては、織部焼きの香合などが入っていたりするらしい。
道具七品については、「落語「金明竹」の舞台を歩く」というサイトがいい。写真付きで詳しい説明がある。
http://ginjo.fc2web.com/113kinmeitiku/kinmeitiku.htm
「三代目三遊亭金馬の噺、「金明竹」(きんめいちく)によると、道具七品とは、
1.刀身は備前長船の則光、祐乗光乗宗乗三作の三所物、横谷宗珉四分一拵え小柄付きの脇差。
2.のんこうの茶碗。
3.黄檗山金明竹の自在。
4.遠州宗甫の銘がある金明竹の寸胴の花活け。
5.風羅坊(芭蕉)正筆の掛物。
6.織部焼きの香合。
7.沢庵木庵隠元禅師はりまぜの小屏風。
以上が、中橋の加賀屋佐吉店に依頼していた、道具七品です。金馬さんの噺の中には、3の自在と6の香合が入っていません。柳家小三治の噺「金明竹」より補填。」
だそうです。
ところで、金明竹は覚えたが、その代わり大事なものが欠落したかもしれない(笑)。
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