「座右の名文」(高島俊男著:文春新書)
「本居宣長」から引用する。
「では本居宣長は非合理的なことしか言わないのか、といえばもちろんそうではない。論理的に考える人ではあるし、古事記や日本書紀を研究するやりかたも、まことに順序だてた、筋道のたった手法である。
『玉勝間』から、宣長の合理的なところをみてみよう。
孔子の家のうまやが焼けた。孔子はつとめ先から帰ってきて、うまやで火事があったことをきいて、こう言った。「人に怪我はなかったか」。それだけで、馬のことはきかなかった----という有名なはなしが論語にある。
さあこれについて、「甚(はなはだ)いかヾなり」と、宣長は疑問を呈する。
「いったい、人の家で火事があったばあいでも、人が焼け死ぬということはそんなにあるものではない。しかし馬はよく焼け死ぬものだ。まして馬小屋が焼けたのだから、人があぶないわけがなく、馬があぶないのである。馬をこそ心配するのが人情というものだろう。
ところがいきなり『人に怪我はなかったか』ときくのはもとより、『馬のことをきかなかった』というのは妙だ。人のことを心配するのは、まあそういうこともあるかもしれないが、馬のことをきかなかったのは、いったいなんのいいことがあろうか。
たぶん孔子の弟子たちが論語を書いたとき、先生がふつうの人でなかったということを知らせたかったがあまりに、かえって孔子の不人情をあらわしたようなことになってしまった。馬のことを問わなかったという三字(不問馬)は削ったほうがよいだろう」
ここで孔子孔子と書いたが、もちろん宣長は「孔子」とはいわない。「孔丘」と書いている。「子」は先生の意、「孔丘」が姓名である。
これは、はじめからしまいまで、まったく宣長の言うとおりだ。馬が火をこわがりうごけなくなって焼け死ぬということはありがちで、普通ならば馬の心配をするのが人情というものだろう。「不問馬の三字を削りてよろし」は実にもっともである。」(P.53~P.55)
しかし、唐土(もろこし)の孔子さんに「馬はどうした、馬は大丈夫か、馬は、馬は・・・」と騒がれたのでは、麹町のサルとおんなしになっちまって、髪結いのお先(さき)さんも困るだろう。(落語「厩(うまや)火事」ネタです)
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