「時そばの客は理系だった」(柳谷晃著:幻冬舎新書)
著者は数学の先生らしいが、そうとうの落語通だ。大学時代は落研(おちけん:落語研究会)にいたのかもしれない。人前で落語を演じたことがありそうだ。芸談に近いことまで書いてある。
と読みながら考えていたのだが、「あとがき」まで読んだら大分違った。林家久藏と三遊亭金八という二人の噺家の協力によるものだそうだ。な~んだ。
「蒟蒻(こんにゃく)問答」では、こんな感じで噺家みたいなことが書いてある。
「この噺は”仕方(しかた)噺”、すなわち、手まねで持っていく噺なのです。文字にするとしぐさがわかりません。実際高座で口演するときはすべてカタチでやります。そこは見て頂かないと面白さが伝わりにくいところです。またそのところが、この噺のしどころでやりがいのあるところです。後半でパーッと謎解きがあるので、台本としてもよくできています。 一応禅宗なのです。それに関連した台詞もたくさんあります。「葷酒(くんしゅ)山門に入(い)るを許さず」との石塔があったから入ってきた・・・・と旅僧が言いますし。人によっては問答に至るまでの説明やら、しぐさ、見せ方もさまざまです。こういうものは実際に教えて貰わないとカタチがあるので出来ない噺です。うろ覚えや、教わらないでいい加減にやったりしていると、楽屋から見ればすぐわかります。それに問答というのは、はったりや屁理屈の勝負ですから、その辺の気締めも入りますし、何手順かは踏む必要のある噺です。なかなか、自分のものにするのは大変です。」(P.57)
この噺に出てくる「十方世界は?」「五戒で保つ」「三尊の弥陀は?」「目の下にあり」というのは、子供のころは何度聞いても覚えられず、最後はおふくろに教えて貰った。わたしの落語好きのルーツは垂乳根(たらちね)の母にありそうだ。(笑)
一方、「天災」という噺のあとではこんなことも書く。
「八五郎は手におえない乱暴者です。しかし、大家さんの言うことは聞きます。現代とまったく違うのがこの部分です。とにかく人の言うことは聞く。そういう人が、町の中に一人はいる。この存在はとても大きい。 今、価値の多様化とか言いますが、それと何も知らない子供が大人に逆らうというのはまったく異なることです。とにかく、この人の言うことは聞きなさい。これが知識とかお金とかを超えたところに、価値を置いている証拠です。この人の言うことが人の生きる道なのだ。乱暴者の八五郎さえ、この暗黙の了解には逆らわない。 有無を言わさない存在は数学にも必要です。数学の勉強の最初は、習うほうの自由とか、個性とかの入りこむ隙はありません。昔の天才が開発した方法をひたすら覚える。その上で彼らの限界を知って、今ある問題を解決するために新しいことを開発する。これは、どんな分野でも同じです。 学ぶということに、数学を学ぶも社会の中の規範を学ぶもありません。最初はまねです。それも絵画の練習をするような完璧な模写。お習字の臨書です。 いやいやながらも、心学の先生のところにやってくる。とにかく、聞きに来る八五郎はそれなりに立派です。しかし、それでも素直に聞くわけではありません。 そこで、今度は教えるほうの度量の広さが問われます。心学の先生の懐の深さが出ます。八五郎が、生意気に言い返しても怒らない。紅羅坊名丸(べにらぼう・なまる)先生がそれほどの先生ではないとしても、心学が人にどのように知識を教えていたかがよくわかります。自分の伝えることがわからなければ、相手の解かる土俵を会話の中で探っているのです。お釈迦様の器量説法。すなわち、相手の理解力に合わせる。これが、個性を尊重することになるわけです。(八五郎は)何もできないで人を批判するだけの、おろかな若者ではない。相手に合わせて、教えることのレベルを下げるのではありません。名丸先生は相手がわかる世界で、レベルを下げずに教えているのです。」(P.213~P.214)
ここは教育論になっている。著者は「おろかな若者」にだいぶ苦労したものと見える。しかし、「お釈迦様の器量説法。すなわち、相手の理解力に合わせる。これが個性を尊重することになるわけです。」というのは肯ける。
学校の先生にこれを求めるのは無理というものだが、企業での社員教育の場では心すべきではないかと思う。
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