「思想なんかいらない生活」(勢古浩爾:ちくま新書)を読んだ。
なぜこんな本を読む気になったかというと、「2ちゃんねる」で「読んだ?」などというスレを立てた人がいて、それに対するレスの中に、「知の欺瞞みたいなもん?」というのがあった。
さすがに2ちゃんねる、「知の欺瞞」が出てくるか!レベルが高い!
というわけで「思想なんかいらない生活」の方も読んでみよう、ということで早速、amazonで購入。
勢古浩爾を読むのは初めてで、どこかの大学の先生をやっていて、土屋賢二みたいなもんかと思っていたが、「ふつうの」会社員らしい。
ふつうの人間に思想なんていらない。それはそうかも知れないが、それでは批判にはなっていないだろう。だいいち「ふつうのひと」にたいする想像力がなさ過ぎる。それは勢古浩爾という人間の限界を表している。自分を超えたものは想像できないということだ。
この本によると、丸谷才一はこんなことを言っているそうだ。
「どうも最近のビジネスマンはビジネス書ばかり読むようだけど、あれはおかしいんじゃないか」
「僕に言わせれば、ビジネス書をいくら読んだってふつうのビジネスマンにしかなれない(笑)」
なるほど、この程度の想像力しかないから、丸谷才一の小説はつまらないのか。
そのほか、この本で取り上げられている連中の本はあまり読んだことがないので、くだらない人間だという意見は保留しておく。
ただ、小浜逸郎さんは例外としたい。読んで教えられることの多い、数少ない思想家の一人だと思う。
その他、池田晶子、呉智英についてはそのうちどこかで触れたい。(評論家みたいな物言いを真似てみた)
また、勢古浩爾は最後に吉本隆明だけは別格で、尊敬するようなことを書いている。
吉本隆明といってもいまの人は吉本ばななのお父さんという感じだろうか。
吉本隆明は私の学生時代から人気があった。いろいろ雑誌などを読んでいて、新左翼の連中はなにより吉本隆明に批判されることを恐れているのだなあ、という感想を抱いたことがある。それほどカリスマ的人気があったのだ。きっと今でもあるのだろう。
吉本隆明は東京工業大学を出ている(まだ蔵前工業高校か?)。私の隣の研究室の教授から「あいつは飲んべえで酒が強かった」という思い出話をよく聞いた。
吉本隆明は詩人だ。左翼(プロレタリア文学とかいうのか)からは評価されず、鮎川信夫さんたちに認められて世に出た。
鮎川信夫さんは吉本隆明の兄貴分にあたる人で、鮎川信夫さんが生きているうちは頭が上がらず、抑制が効いていたが、亡くなってしまったあとは、たがが外れてしまった気がする。
対談集の「全否定の原理と倫理」(思潮社)、「詩の読解」(思潮社対談・文学の戦後」(講談社)などをみても、鮎川信夫/吉本隆明になっていて、出版社がどう評価しているかを物語っている。
というわけで、吉本隆明よりは鮎川信夫さんの方が、詩人としても、思想家としてもずっと上だと、私は思っている。
左巻きには、鮎川信夫さんは評価されていないようだ。一向にかまわないが。(笑)
Wikipediaでも吉本隆明に比べて鮎川信夫さんの解説の短いこと。
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