大分、古い話だが平成16年7月10日付けの産経新聞に"晩学の心得"(日出間和貴)という文章があった。以下に引用してみたい。
「ライフワークが結実したとき、足立巻一(あだち けんいち)は61歳になっていた。
22歳のころ、江戸時代の歌人で国語学者、本居春庭(宣長の長男)を知った。さっそく研究に着手したが、盲目の学者ゆえ、日記や書簡がほとんど残っていない。宣長の著作を読み込むしかなかった。40年の歳月をかけて、1,600枚に及ぶ春庭の評伝『やちまた』の刊行にこぎつけた。
「やちまた」とは「道がいくつにも分かれた所」。春庭は32歳のころ失明し、妹と妻の助けによって、『詞(ことば)のやちまた』を著した。言葉は八方にわかれる道のようなもの。使い方を間違えないようにとの思いを込めて、春庭は日本語の文法書を書き上げた。
大正2年、神田紺屋町生まれの足立は戦後十年間、大阪の夕刊紙に籍を置いた。記者仲間に司馬遼太郎がいた。新聞社を辞めた後、自称「よろずアルバイト業」で食いつないだ。随筆集『人の世やちまた』に「生きてゆくことはたえずいくつもに分かれた道の一つを選び、それを進めばまた『やちまた』に立たねばならぬ」と記した。
足立の72年の生涯は「やちまた」の連続だ。迷いはあったが、盲目の歌人にかけた根気と執念がなければ、評伝文学の嚆矢といわれる大著は生まれなかった。」(引用終り)
「やちまた」(足立巻一著:河出書房新社刊)上・下巻を読むのに丸一年かかった。何しろ分厚い。
この私が、なぜこんな本を読む気になったのか、きっかけがまったく思い出せないのだが、読み始めたらおしまいまで読んでしまった。一気にとはいかなかったが。
昨年、お伊勢参りをしたとき、初日に松阪に寄った。松阪牛を食べよう思い、妻を誘って松阪で下車し、松阪城にある本居宣長記念館を訪ねた。
折良く本居春庭(もとおり はるにわ)と宣長の養子である大平(おおひら)に関する展示をやっていた。
帰り際、事務所の方に、春庭に関する研究書が無いか訊ねたら、本居宣長記念館の前館長が著した本があったが、いまは絶版となっているとのことだった。その他には足立巻一さんの「やちまた」がありますと教えてくれた。
「それを読んだから来たんですけど」と言いたかったが口には出さなかった。
うちへ帰ったら、いよいよ小林秀雄の「本居宣長」にとりかかるかと考え、一応読み始めたのだが、未だ読みかけたままである。
それでも松阪を訪ねた甲斐はあった。本居宣長記念館や鈴の屋などを見ていなかったら、何のことか判らなかったろうと思われるところが多々出てくる。
こっちの本も一年かかりそうだ
コメント