「失語の国のオペラ指揮者」(ハロルド・クローアンズ著:早川書房刊)に、縦書きに関するところがあった。これも文化の話だ。
「言語中枢はつねに左半球にあるとは限らない。とくに左利きの場合は右にあるかもしれない。
だが、左利きでも同じ視野で読む。したがって、左利きの者が英語を読む場合、左視覚野から右半球の言語野へと交叉させることを覚えなければならないはずだ。
ヘブライ語ならその必要はない。こうしたことはすべて、無意識のうちに行われている。
(もちろん、視神経はいつも同じ働きをしている。半交叉によって右半分の像を左視覚野へ、左半分の像を右視覚野へ送る。そのつぎの仕事を覚えるのは脳の役目である)。
脳は自然なことをする。ただし、何が自然かは言語によって、書字システムによって異なる。
さらに同じ脳に取ってさえ、言語が違えば違う。英語を読む者の大半は、左視覚野で始まって左半球へと伝わる回路を見つけなければならない。
だが、ヘブライ語を読む場合には反対側で始まるし、もし右半球優位の者であれば、出発点も最終目的地も違ってくる。
日本語となるとまた、微妙だが現実的な解剖学的相違が現れてくる。
日本語は上から下へと、視野の下半分で読む。読字のためのスパンドレルはいっそう複雑な様相を呈する。
それぞれの視覚野の半分(左半球の半分は外界の右側を、右半球の半分は外界の左側を見ている)は溝と呼ばれる深い裂け目で分かれている。この裂け目は「鳥距溝」とわざわざ名づけられているほど重要なものだ。
外界の上半分の像はこの溝の下に、下半分は溝の上に入ってくる。英語を読むときには、ふつうはこの水平線の下側を使っている。ヘブライ語でも同じだ。
だから、二重焦点メガネの読書用の部分は下側に設定されている。水平方向に読む言語の文字はすべて、鳥距溝の上に伝わる。
日本語のような垂直方向に読む言語だけがべつである。」
(P.109~P.110)
わたしのメガネも「二重焦点メガネの読書用の部分は下側に設定されている」のだが、縦読みだからといって、左右に分けるわけにもいかないだろう。(笑)
脳梗塞で字が読めなくなった患者の話が出てくる。なにが書いてあるかわからないという意味らしい。
発話に問題はない。もちろん視覚に異常があるわけではない。
ところが点字を覚えたら、点字を読むことはできた。
さらに右から左へ書くヘブライ語も読むことができるようになった。
「それからイディッシュ語も勉強しています。おかげで、またひとつ文学の世界が開けますよ」(P.118)
著者も日本語のことがわかっているなら、日本語を学ぶように勧めてほしかった。
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