「一寸さきはヤミがいい」(山本夏彦著:新潮社刊)の“匿名というもの”から引用する。
「(風)と名乗る匿名の書評子が一世を震撼させたことがある。昭和51年10月から57年10月までまる六年「週刊文春」に連載された。僅々一ページに足りないコラムだったがこの週刊誌を重からしめる呼物だった。(中略)
風は連載が終わると覆面をはいで朝日新聞編集委員百目鬼恭三郎だと名乗って出た。日ならずして朝日新聞を辞して本名で書きだしたら不思議ではないか、ちっとも面白くないのである。ことに朝日をやめる委曲を書いた文章の如きは、これがあの風かと疑わせた。
こんなことを言うのは産経新聞の「斜断機」という匿名のコラムが、匿名を廃して実名を名乗ったら忽ち面白くなくなったからである。
あの欄は都新聞(いま東京新聞)の「大波小波」を手本にしたものである。「大波小波」は昭和八年以来今も続いている。
匿名にかくれて私怨をはらす、仲間ぼめする、卑怯だというが、もしそれが甚だしかったらその欄は信用を失う。大波小波が戦前・戦中を耐えて今も続いているのはその弊におちいること少なかったせいだろう。
あの戦前戦中、実名で陸海軍評ができるか。医師が医師の雑誌に忌憚なく病院評が書けるか。
漱石崇拝に抗して退屈が予想される長編を読むことがいかに苦痛かを書くのは勇気がいることである。
敵は幾万である。
袋だたきにならなかったのは、白鳥が文壇の耆宿だったからである。その代り黙殺された。(平成12年7月6日号)」(P.27)
「耆宿」(きしゅく)=徳行や學問のすぐれれた老人(冨山房詳解漢和大字典より)
山本夏彦さんはときどきわざと難しい言葉を使う。勉強になる。
百目鬼恭三郎(どうめき・きょうざぶろう。そういえば宇都宮に出張したとき、県庁のそばに百目鬼町というのがあったな、あそこの出身だろうか?)のあとを継いだのが鮎川信夫さんだった。
風の書評は衒学的で嫌みな文章が多かったが、鮎川信夫さんの書評は匿名ではなかつたがいつも面白かった。
そのためだけに週刊文春を買っていたものだ。鮎川信夫さんの書評は全集にまとめられている。いま読み直してみても面白い。(語彙が貧困だなあ、みんな面白いで片付けるか)
一方、産經新聞の「斜斷機」はついに姿を消してしまった。いまは「断」という実名でのコラムとして復活したが、やっぱりつまらない。呉智英と大月隆寛くらいなものか。(笑)
したがって、「2ちゃんねる」などの匿名性も大事だと思う。このブログは匿名ではないので、気を遣う。気遣いはするが、なにしろ「本が好き、悪口言うのはもっと好き」なので、悪口は書く。(笑)
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