産経新聞平成19年9月1日の「断」を読んでいて笑ってしまった。呉智英ならではのコラムだ。
「新聞では、多数派読者を敵に回したり、不快にさせるような話は書けない。それをあえて書きますから、該当する方は、これは自分のことではない、ほかの誰かのことだと思って読んでください。
私は複数の大学で講師を務めている。毎年学生名簿を見るたびに、読めない名前が増えたなと思う。特に女子名。子(こ)や枝(え)で終わる読みやすい名前が少なくなり、画数が多く無理読みの漢字を使った名前が多くなった。暴走族のグループ名に多い方式なので、私は「暴走万葉仮名」と呼んでいる。
まあ、娘にどんな名前をつけようと親の自由ではあるのだが、面白いことに気づいた。暴走万葉仮名の女子学生が多い大学は、あのー、偏差値がね、ちょっと、あれなのですね。難関の某国立医大の教授である友人にその話をすると、うん、うちの女子学生に暴走万葉仮名はまずないな、と言う。
超高学歴者ばかりの某有名全国紙の女性記者(子がつく)に同じ話をすると、ああそう言われてみればと、同僚たちの名前を思い起こしてくれた。やはり暴走万葉仮名の女性記者はほとんどいませんね、と言う。
私は、俗流伝統主義者と違って、子のつく女子名は日本の良き伝統だと言いたいのではない。
庶民の女子名に子をつけるようになったのは、明治半ば過ぎ、すなわち二十世紀に入ってからだ。
皇族華族の女子名に子がつくのに憧れたのだ。その憧れの是非は今論じない。ともかくも「目標」があった。一方、昨今の暴走万葉仮名の女子名はどうか。独自性・独創性(ホントに独自・独創かどうかはともかく)の追求の果ての「俺様(おれさま)化」である。むろん実績の伴う俺様ならけっこうだが、そうでないことを私は体験的に知ったのだ。
三浦展『下流社会』で下流の指標の一つとして「自分らしく生きる」が挙げられているが、暴走万葉仮名にもその「自分らしさ」が感じられてならない。
(評論家・呉智英)」
さっそく、2ちゃんねるでもスレッドが立って、全文引用されていたので、打ち込む手数が省けた。それにしても「暴走万葉仮名」というネーミングはいいな。
ちなみに、呉智英は「くれ ともふさ」と読む。知らないと読めないだろうが、2ちゃんねるには読めない人が結構いるようだ。産経新聞の記者だと思っているのまでいる。自称、封建主義者だ。
「272 : 通訳(樺太):2007/09/01(土) 18:59:09 ID:9OxqOn76O
翔斗琉凪夢宙稀海茉颯莉龍疾凱
1つ付くごとに+50点な」
という、レスもあったが、なるほど近頃の子どもの名前に多そうだ。
ところで、暴走族の名前というのはどういうものか知りたいと思い、検索してみた。
「『怒羅絵門』。ほら、いきなりこれだ。やっぱり、のび太のような少年がリーダーをやっているのだろうか。サブリーダーはジャイアンのような少年だろうか。いつもリーダーはいじめられているのだろうか。かわいそうに。
『神出麗羅』。しんしゅつ……いや、これはおそらくシンデレラと読むのだろう。なぜこんな名前にしたのかといえば、リーダーの家の門限が厳しくて十二時までには帰らないといけないのだ。門限を破るとママに叱られてしまうのである。これもけっこう情けない。
『魅孵美人』。なんと読むのかちょっと悩んだが、おそらく「みかえりびじん」だろう。しかし、こんなにむずかしい漢字を使って大丈夫なのか? 覚えられるメンバーなどいないだろうから、壁に落書きするためにいちいち国語辞典を持ち歩かねばならない。ご苦労なことである。
しかしなぜ見返り美人なのか? 暴走族にそうそう美人などいるわけがないから、これはメンバーのことではないだろう。初代リーダーが走っているときにたまたま歩道を歩いていた美人が目についた。見とれてよそ見をしていると対向車線に飛び出してしまいトラックと正面衝突……そんなエピソードがあったのだ。悲惨な話である。え? そのリーダーはどうしたって? 安心してほしい、死んではいない。救急車が来るまで付き添ってくれたその美人と結婚し、今は自動車整備工として平和に暮らしているとのことだ。ええ話やなあ。
『烈火亜舎』。初代リーダーが駐車違反でレッカー移動をくらったことからこの名前が付いた。
『寿辺苦絶悪』。読めない。これは絶対に読めない。スペクターと正しく読める者など、メンバー以外にいないだろう。
『男邪流丸』。やはりリーダーは元公家でおじゃるか。困ったものでおじゃる。
『退我亜須』。だから、そんな弱そうな名前を付けちゃダメだって。
『銀輪部隊』。銀輪部隊といえば、旧日本軍の自転車に乗った部隊のことだが、知っていて付けたのだろうか。それとも本当に自転車に乗っているのか。自転車で他の暴走族と渡り合っているのなら大したものである。
『惨臨舎』。ならばこれは当然、三輪車で他の暴走族と渡り合っているのだろう。」
「『退我亜須』。そんな弱そうな名前を付けちゃダメだって。」というのは、阪神ファンに失礼だろう。(笑)
江戸時代にも喜多川歌麿の艶本「葉男婦舞喜」を「はなふぶき」と読ませるようなものもあったが、似ているような、違うような。
孫が通っている幼稚園の名簿を見ても笑えるのだが、そんなのを紹介すると差しつかえがあるので、それだけは止めておく。
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