「光草(ストラリスコ)」(ロベルト・ピウミーニ著:小峰書店刊)
「訳者あとがき」から引用する。
「本書は、イタリアの児童文学者ロベルト・ピウミーニの代表作Lo Straliscoの翻訳です。
1987年エイナウディ社から出版されたこの作品は、イタリアでは子供から大人まで多くの人に読まれてきました。
物語の舞台は、いつの時代かはっきりとはわからないトルコの国です。
マラティアに暮らす絵かきのサクマットは、あるときのその腕を買われて、北の地方を治める一人の領主に招かれます。領主が依頼した仕事とは、十一歳になるひとり息子、マドゥレール少年の部屋の壁に絵を描くことでした。少年は、外の空気や日の光に触れることのできない奇病に侵されていて、そのために幼い時から館の奥の閉ざされた部屋で生活することを強いられていました。父親は、外の世界から隔離された息子の孤独を慰めるために、その部屋を美しい絵で飾らせようと考えたのです。」(P.154~P.155)
たとえば、第七章はこう始まる。
「日がたつにつれて、山々が生まれていった。いまでは、インスパットとムトクルが住んでいる谷間や、足の悪い犬が山羊の群れをほえたてながら駆けてゆく斜面ばかりか、いくつもの谷に、山の頂、山小屋に、囲い、目に見える山羊に、目に見えぬ蛇、断崖絶壁に、山椒魚のすむ小さな湖などが描きくわえられていた。
すべては、ゆっくりと生まれていった。それらは、みな、マドゥレールとサクマットが知っているもの、想像したもの、望んだものから、下描きや修正、デッサンや着色を経て、生まれていったのだった。
サクマットの手の動きは、おだやかそのものだった。絵かきは、おしゃべりしたり、笑ったり、記憶をたどったりしながら、ふたりのあいだで描くべきものが一致するまでじっと待つことを心得ていた。
最初の壁から白い部分がなくなり、その同じ場所には山があった。それは、近くの景色から無限のかなたまで、低い場所からはるかな高みにいたるまで、バランスよく配された空間だった。絵かきが筆をいれるたびに、そこには、大きさや方向、そして形が生まれていった。」(P.58~P.59)
話は変わるが、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を見に行った。
遠近法で描くために、女性の左側にピンの痕があり、大工の墨付けの要領で線を引いてから、窓や机を描いた証拠だという。といっても机はいびつになっているらしい。
高校生のとき、授業でこの絵を模写させられた記憶がある。
ところで、絵かきのサクマットは遠近法で壁に絵を描いてはいないはずだ。無限遠の一点を決めてしまったら、隣の部屋の絵を続きで描けない。
遠近法でないなら、どんな風に描いたのだろうと、そればかり気になってしまった。
日本の絵巻物のように雲を描いて場面を変える必要はなさそうだが、時の経過は上から塗りつぶして描き直している。
絵巻物や浮世絵の大部分は遠近法を用いていない。3次元で平行なものは2次元に投射したときも平行に描いてある。遠近法は射影幾何学だが、わが国の絵巻物はアフィン幾何学だ。
数年前、東京理科大の生涯学習センターの「浮世絵と数学」という講座を聴きに行ったとき教わった。実際に英語の論文も見せて貰った(新藤茂先生、数学科出身の浮世絵研究家)。
娘夫婦のところにフランス人カップルが遊びに来たとき、男性が大学は数学科だったというので、知ったかぶりをしてアフィン幾何学の蘊蓄を傾けたら、えらく感心された。
それ以後、使う機会がないのが残念なので、ここに書いてみた。(笑)
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